2011年3月27日日曜日

談春の子別れを聞く

堺市民会館立川談春独演会に行った。

会場の堺市民会館
1395席の大ホールがほぼ満席だった。

前座は無しで,いきなり談春の登場。
「子別れ(上),(中),(下)」の前に一席,という話が「粗忽の使者」。
使者を迎える重役は,志ん朝では田中三太夫だったが,談春では木村某だった。
粗忽な治武太治部右衛門が逆向きで馬の尻尾につかまって使者先まで行く,というのはおかしかった。
この話は志ん朝のCDで聞いたが,談春は,よりわかりやすかった。


そして,「子別れ」。


談志(上),(中)で切り上げ(下)をやらなかったが,あるとき談志のオリジナリティを盛り込んだ(下)までやって,「よかったろう」と談春に言ったとのこと。
談春が談志の了解を得て,その「子別れ」をやったら,談志の言伝てで志らくから「あいつ(談春)は俺の話をパクッた。破門だって」という連絡があったが,談志が了解したことを思い出してくれて丸くおさまった,というエピソードが紹介された。

志ん生などで聞いた「子別れ」と違っていたと思った(記憶違いがあるかも)のは,次の点だった。

① 女房が追い出されるとき,子の亀吉(当時5歳)が,お父っつぁんの玄翁(げんのう)を持って行くと言い張って,玄翁が母子宅にあることになった。
② 亀吉が,眉間が割れる怪我をする話。
③ 何かと熊さんの面倒を見てくれた番頭が,夫婦仲直りのキューピッド(らしき存在)という設定。
④ 女房(母親)が玄翁を持ち出して,亀吉に「これはお前のお父っつぁんが言うんだ」というのが切り札だという設定。

他にもいろいろあったと思うが,志ん生などを聞き直して,整理したい。

思い出せない部分も多いが,何か新鮮な「子別れ」だった。
談志流の解釈なのだろうか。
亀吉がうなぎの食い方に通じているというのも,何かおかしかった。

立川流「子別れ」を,談春は,十分に伝えてくれた。
別れた女に恨まれるのは男の器量だ,という話は,よくわからないが意味深だった。

終わって幕が再度開いたとき,客席から「名人!」という声がかかっていた。

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