まず,岡崎の京都府立図書館に本の返却に行った。
木屋町二条 アガパンサスという花 |
新熊野神社に立ち寄った。
今熊野はイマグマノと言い(バスのアナウンスもそう発音していた),新熊野神社はイマクマノ・・・何やら不思議だ。
後白河法皇お手植え と伝えられる樟(くす) |
梛(なぎ) 実が二つ並んで仲良く実ることから 夫婦円満の目出度い木とされている とのこと |
古くは伏見寺という名で伏見桃山付近にあったが,秀吉の伏見城築城の際,深草大亀谷に移され,明治35年に現在地に移転したとのこと。
本堂の仏像を拝み,那須与一の墓所に立ち寄る。
那須与一墓所 |
山門と本堂 |
戒光寺の本尊の釈迦如来立像は,鎌倉時代の運慶・湛慶父子の合作で,台座などを含めると約10mと大きなもの。見上げるようにして手を合わせた。お釈迦様に毎日供えるお茶が参拝客用にも用意されており,ありがたくいただいた。小さいがいいお寺だ。
参道を少し引き返して南へ進むと,悲田院がある。
京都市街を一望できる。
京都タワー,愛宕山が見える |
泉湧寺を拝観する時間がなくなり,京都駅周辺の目的地に向かった。
高木作左衛門さんに教えてもらった今熊野の漬物店「ニシダや」に立ち寄り,「しば漬風味 おらがむら漬」(315円)を買った。
大量に買っている客が結構いた |
午後3時半ころ用件が終わり,烏丸通りを北上して帰った。
東本願寺
京都駅方向を振り返る |
平等寺(因幡薬師)・・・烏丸松原東入る上る
997年,因幡国司・橘行平が京都に戻る途中,因幡の海仲から引き揚げた薬師如来像を安置したところ,1003年に行平の後を追って京都に飛来したとのこと。
新玉津島神社・・・烏丸松原西入る
藤原俊成(定家の父)が自分の邸宅地に,和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を勧請したことに由来するとのこと。
菅大臣神社・・・仏光寺新町西入る
菅原道真の自邸跡。大宰府に飛んでいった(飛び梅)のは,ここの梅。
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