2011年8月1日月曜日

志の輔独演会(富田林)

7月31日(日),富田林のすばるホールで開かれた立川志の輔独演会に行ってきた。
富田林は遠かった。
PL教団の塔(初めて見た)
すばるホール
まずは前座(五番弟子)の立川志の彦の「元犬」。
なかなかよい口調であった。

志の輔の一席目は「ハナコ」。
5月28日の京都芸術劇場での一席目と同じ。
いったい旅館の女将は,スコップを持って竹林に何をしに行ったのだろう。

中入り後,長唄三味線を挟んで,志の輔の二席目。
マクラの後,「とう~ふぃ~」という豆腐屋の売り声で始まった。
増上寺そばで豆腐屋を営む上総屋七兵衛(立派な名前だ)が,普段は通らない長屋を売り歩いていると,男が豆腐一丁を求め,醤油をたらしただけ,薬味なしで平らげる。七兵衛が豆腐の代金四文を請求すると,男は細かい金がないので今度まとめて払うという。
次の日,二丁を平らげ同じことを言う男に対し,七兵衛が「今日は釣銭をたっぷり用意しているので,どんな大きな金でもお釣りを払える」と言うが,男は「細かい金がないのだから大きな金もない」といって開き直る。
事情を聞くと,世の役に立つため書物を読んで学問に明け暮れているので,仕事はしていない,無収入だと。
普通なら怒るところだが,七兵衛は,自分が男の役に立てれば世の中の役に立つことになると,男に毎日おからを届ける。
七兵衛が風邪をひいて寝込み,十日ばかり日を置いて男の家を訪ねると,引っ越した後だった。
店の場所を知っているのに何故一言の断りもなく引っ越したのかと,七兵衛は落胆する。
その後,七兵衛の豆腐が人気となり,売り歩かずとも多くの客が買いに来るようになる。
しかし,「好事,魔多し」,近くから出た火事で七兵衛の店一帯が焼けてしまう。
仮住まいで女房と「江戸ではなく,どこか遠くへ行こうか」等と話している七兵衛のもとへ,使いだという左官屋が,七兵衛の店を新築するよう言付かった,完成するまでの当座の金だと言って十両を届けてきた。きっと新手の高利貸しだ等と言いつつ,七兵衛はどうしても必要な支払にその金を使う。
そうこうするうちに,店を建て豆腐作りの道具もそろえてくれ十両を都合してくれた人物が現れると,それはあの男であった。
徳川綱吉の側用人・柳沢吉保にとり立てられたその男こそ,荻生徂徠
赤穂浪士の裁きについて,徂徠が討ち首でも無罪放免でもなく切腹という進言をしたのは,その七年後のことだった。
七兵衛は,徂徠にそろえてもらった道具で作った豆腐を進呈するために徂徠宅を訪れる。
礼をいう七兵衛に徂徠は,「あなたから生きた学問を学んだ」と言う。
七兵衛がおからを届けただけで店まで建ててもらうというのは申し訳ないというと,「おからでできた家だと思えばいい」・・・(落ちは記憶違いがあるかも)

いい人情噺だった。
演目の貼り出しで「徂徠豆腐」という題だと知った。後で調べると志の輔の得意ネタのようだ。
万雷の拍手で幕が下がり,もう一度幕が開いて,志の輔の音頭の一本締めで閉演した。

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帰りに天王寺で立呑み処に寄った。
「種よし」という店。
小鉢に盛られて量は多くないつまみだが,どれもおいしかった。
○ レバニラ炒め
○ ポテトサラダ
○ おから(徂徠豆腐を思い出しつつ)
○ ゴーヤチャンプルー
○ ねばねば納豆
というヘルシーな選択。ビール大瓶1本と芋焼酎水割り2杯で,締めて1,860円。
また来たい店だった。
細い紙に書かれたたくさんのメニュー
おから     ゴーヤチャンプルー
山イモ等が入ったねばねば納豆

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1 件のコメント:

  1. 志の輔さんの荻生徂徠 初めて聞きました 徂徠豆腐ですか 圓窓さんの噺では、おきゅう⇒おぎゅう つらい⇒そらい というフレーズがありましたが、志の輔さんでも出てきましたか?素晴らしい人情噺は最高 感動モノですね
     
    富田林は確かに遠いですね 西行の終焉地ということで駅からバスに乗って行ったことがあります その時PLの塔も観ました 昨日が花火大会だっかな 花火と言えば「たがや」を思い出します 

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